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【ripples 清水さん インタビュー】MADE IN JAPANをもう一度世界に。

「MADE IN JAPANをもう一度世界に。」をミッションとし、海外事業としてグローバルコマース、メディカルツーリズム、東南アジア向け日本庭園造園を展開するripples。ベトナム人の両親を持ち、日本生まれ日本育ちの清水さんのユニークなストーリーと、海外事業を展開する中で見えてきた「MADE IN JAPAN」の価値、そして今後の事業展開についてお話を伺いました。

【プロフィール】
清水 明義 (しみず あきよし) さん
1996年生まれ、日本生まれ育ちでベトナム人の両親を持つ。貿易会社を営む両親に影響を受け2015年にWonder Plusを創業するも短期で事業を断念。2017年日系大手企業に就職し様々な事業開発に携わる。その後、転職した会社でECコンサルとして活躍し、それまでの経験をもとに2022年、新たに株式会社ripplesを創業。現在に至る。
株式会社ripples Website  :  https://ripples-inc.com/

■現在の事業について

・まずお聞きしたいのですが、現状はどのような事業をされているのですか?

国内事業では、主にEC事業者向けにECにおける売上・利益改善の戦略から運営支援まで一気通貫で行うECコンサルティング事業を行っています。

海外事業は3つやっています。1つ目がグローバルコマースです。基本的に日本製品を卸売りや自社ブランド製品を東南アジアや欧米に販売しています。2つ目がメディカルツーリズムです。外国人の富裕層の方に、インバウンドで日本に来た際に観光と合わせて日本の医療を受けてもらうサービスを提供しています。3つ目が日本庭園を海外の富裕層の方や商業施設に造園していく事業をしています。

・なぜ海外事業をはじめたのですか?

両親がベトナム人で、日本生まれ日本育ちの外国人みたいな感じのルーツなので、元々起業する時からグローバルで事業をやってくことを前提に考えていました。そんななかで最初は自分の得意領域である日本国内のECコンサルティング事業から始めましたが、自分の生い立ちからも日本の良いものをグローバルで広げたいという気持ちが強く、「MADE IN JAPANをもう一度世界に。」というミッションで海外事業を始めています。

―メイドインジャパンが世界で戦える領域はどこだと考えましたか?

4つぐらいイメージしていたのがあって、まず「観光」です。日本はすごい観光資源が豊富なので。次に「ヘルスケア」。日本は世界的にもまれに見る長寿の国なので、その健康に関する知見・経験や安心安全な環境など、世界中でこのヘルスケアはまだまだ戦えると思っています。あとは「食」ですね。食は世界にも誇れるすごい文化だと思っています。あとアニメとか漫画などの「サブカルチャー」です。

・グローバルコマースから始めたと伺っていますが、なにかきっかけがあったのでしょうか。

さきほどお伝えしたとおり、4つの分野に着目していたのですが、そこから自分が得意なところをミックスして考えた時に、元々自分がやっていたECにも関連があり、最初はヘルスケア×コマースというところが始めやすい分野だと考えました。そのため、日本のサプリやヘルスケア商品を海外で売るところからスタートしました。

―日本の強みを活かした事業を通して、メイドインジャパンを広めていこうと考えたのですね。

・その後、なぜメディカルツーリズムをはじめたのでしょうか?

最初ベトナムで日本のヘルスケア商品を売ってこうと思った時に、日本の商品は単価が高いので、必然的にターゲットは富裕層の方とか、所得が高い方になってくるんですよね。

そこから、どんな人が実際に購入してくれるのかを掘り下げながら活動していくと、サプリやヘルスケアに興味を持つ方もいる一方で、もっと根本的な問題を医療的に解決したいという需要が大きいことに気付きました。

例えば、人間ドックやがん検診。細かいところだと、年齢を重ねると膝が痛くなって歩行が困難になるといった問題を改善したいがベトナム国内では中々高水準の治療を受けれないという顧客の声がありました。そういった課題は、サプリとかで解決するには限界があるので、直接日本に来てもらって解決するサービスがあったら絶対にいいんじゃないかと考えました。

そこで、ヘルスケアと医療を掛け合わせた事業として、メディカルツーリズムはビジネスチャンスがあると思い、事業を開始しました。

―ripplesのメディカルツーリズムの優位性はなんですか?

日本人が日本の現地とベトナムの状況を理解していて、本当の意味で必要とされているクリニックや病院を紹介してくれるっていうところが、優位性を作りやすい部分にはなっています。

ベトナム人で同様なサービスを提供している競合もいますが、 僕は生まれも育ちも日本なので、顧客から見たら本当に良い病院等を知ってるのは日本人。って思ってもらいやすいと思います。

そういう安心感などが少なからず優位性を作っている部分かなと思います。

・なぜ東南アジア向けの日本庭園造園に着目したのですか?

これも事業やってく上で、顧客からのニーズから拾ってきた結果です。

ツーリズムのお客さんを実際に日本でアテンドした時、所得の高いベトナム人のお客さんが多いので、「最近家を買って」とか、「最近自分の庭を変えてようと思っているんだけど、日本の庭ってとても綺麗だよね」とか、そういう話が出てくるんですね。

そこから、富裕層がお金使うところはどこだろうなって見ていくと、美容、健康、アートだと分かり、そこで、日本庭園に着目しました。ベトナムにも日本庭園のようなものはあるけれど、アートとしてすごいレベルのものはほとんど見たことがありません。これはすごくチャンスだと感じ、そこからさらに色々なご縁があって、今は世界一の庭園デザイナーの石原和幸さんとタッグを組み、ベトナムで本格的な日本庭園を広げていく取り組みをしています。

石原和幸さんWebsite 「三原庭園」 https://www.kaza-hana.jp/ 

石原和幸さん(真ん中)と清水さん(右側)

 

■起業までの経緯について

・ご両親がベトナムから移住されて、清水さん自身は日本で生まれ育ったということでした。それが起業の強い動機になっているのでしょうか。

僕が中学3年生ぐらいの時に、父が起業しました。その影響は非常に大きかったと思います。中学3年生や高校時代に両親が経営を始める様子を見て、僕にはそれがとても楽しそうに見えました。

もちろん、実際はそんなに甘いものではなく、失敗まみれでした。例えば、高校1年生の時、僕がバイトで貯めた大事な10万円を「これがないと生活できないから貸してくれ」と頼まれるほどでした。そんな状況でも、家賃の支払いが滞ることもありました。

それでも、両親が楽しそうに経営をしている姿を見て、経営という職業には夢があり、「自分次第で未来が変えられる」そんな可能性を感じたんです。家が裕福ではなかったこともあり、成功したいという強い思いがありましたし、実際に身近でそれを実践している人がいることが大きな影響を与えたと感じています。

―どのような経緯で起業されたのですか?

高校を卒業してすぐベトナムに行きました。実は、高校時代は真面目に勉強していたわけではなかったので、経営者になろうと決めた時、自分の強みを評価し、自分の武器を増やそうと考えました。そこで、18歳の時に、22歳までにベトナム語と英語を習得し、それに加えてもう一つ自分のスキルを身につけることを目標にしました。そこで当時、ITスキルが求められる時代だったので、それに関連することを学ぶことにしたんです。 

―ベトナムに渡ってから最初に起業するまで、どのような活動をされていたのですか?

ベトナムに入った最初の半年間は、家庭教師を3人雇って朝昼晩ずっとベトナム語を勉強するとこからスタートしました。両親がベトナム人ですが日本生まれ日本育ちという事もあり、ほとんど読み書きも話すこともあまりできなかったからです。。その後、ベトナムで人材紹介などを行っている会社でインターンシップをすることになり、社内のITシステムの改善やサイトのリニューアルなどを担当しました。

そのインターン中に、当時の会社の社長と色々と話をする機会があり、「このままベトナムでどこかの会社で社員として働くのか、それとも自分で何か事業を始めるのか」という選択肢が出てきました。僕自身、経営者になりたいという気持ちが強かったので、「19歳だし、失敗しても大丈夫。とりあえずやってみよう」という軽い気持ちで、自分で事業をスタートさせることにしました。

・2015年にWonder Plusを創業され、その後日系大手企業に入社されたと伺いましたが、その背景には何か心境の変化があったのでしょうか?

2015年にWonder Plusを創業した時、僕は19歳でした。最初はオフショア開発やWEB制作の事業をやってみたんですが、全くうまくいきませんでした。仕事もなかなか取れず、どうやって事業を成り立たせるのか全然わからない状態でした。そこで、一度どこかで修行が必要だと感じ、会社に入って経験を積むことを選びました。

―今振り返ってみて、当時の失敗や現在との違いは何ですか?

本当にたくさんありますね。今振り返ってあえて一つ挙げるとしたらとにかくアクション量が少なかったと思います。

また、日系大手企業にいた時、経営企画室で新規事業の立ち上げやM&Aなどに携わらせてもらいました。そういった経験を通じて、事業を立ち上げる際に何が重要なのか、計画の立て方、どこに時間を割くべきかなど、細かな部分まで学び、実践していました。あとは当時はCOOに鞄持ちを直談判して半年以上させてもらって身近で経営者の日々の仕事を学ばせてもらったので、知識だけでなく肌で感じる部分も多かったです。言語化しきれていない部分もありますが今の自分と当時の自分ではすべてが違うように感じますね。

 

■事業の困難と将来について

・メイドインジャパンとローカライズを両立させるためのポイントはなんですか?

両立っていうと難しいんですけど、実際に色々やってみて、起点の考え方が大事だなと感じています。メイドインジャパンというブランドがなくても、お客さんが何に困っていて、どういう価値を提供してほしいのかを突き詰めて考え、価値があるものを提供するっていうところがまずあって、そのうえで付加価値としてメイドインジャパンブランドがあるよねくらいの位置付けとしてやっていくのが大事だと思っています。日本のものが良いからといって、メイドインジャパンを全面に押し出せば必ずしも受け入れられるわけではないですね。

―メイドインジャパンだけでは通用しない時代だと感じていますか?

そうですね。メイドインジャパンだから買われる時代って、もうとっくに終わったなっていう風には日々痛感していて。言ってしまえば成分、中身もほぼ一緒で、もっと安いものがいっぱいある中で、価格が高い理由がメイドインジャパンですとか、安心安全ですとかだと、やっぱそこに限界があるんですよね。

また、世代によってもメイドインジャパンに対する認識もかなり違います。若い人は電化製品や安心安全などの印象よりも、アニメや漫画などのサブカルチャーの影響のほうが強い。世代によってもアプローチは大きく変えなければならないです。

ただ、それでもメイドインジャパンで価値を感じてもらえるシーンはまだまだあるので、バランス感は大事だと思っています。

―お客さんの世代が変わっていく中で、ビジネスにどのような影響があると思いますか?

僕たちがやるべきことはあんま変わらないなと思っています。僕たちの基本ターゲットは富裕層や年齢層が高めの人たち、いわゆる今の若い人たちの親御さんの世代です。その人たちにちゃんといいものを提供し続けるが重要だと考えています。

今のターゲットは富裕層ばかりですけど、今後はベトナムも経済的により発展していきますし、我々のサービスも中間層に対して広げていくことになります。また、若い人たちの年齢が上がっていく中で、両親世代と同じ課題にぶつかった時、両親が使っていたサービスが良かったと感じてくれることもあると思います。そう考えると、今のお客さんにきちんと向き合っていくのが、結果的に将来に繋がっていくと思います。

・清水さんが思い描く未来の会社の姿はどんなものですか?

ミッションとして掲げているとおり、これからメイドインジャパンをいろんな角度からサービス提供をして、メイドインジャパンのものを広げていくつもりです。そうした商品やサービスを広めるスペシャリスト集団にはなりたいですね。いまやっている事業も将来につながるものが多いと感じています。

また、公園とかリゾート施設など色々なところに日本庭園を作っていった時に、「あの庭園とても綺麗だよね」、「あそこいいよね」と現地の方々に言ってもらえるような仕事を増やしていきたいと思っていますね。

メディカルツーリズムとかも、「医療にこまったらあそこに相談するのが一番いいよね」とか「あそこが一番安心だよね」とか。そういったところが1個1個の積み重ねだと思っており、今後新しく始めることについても同様だと思っています。

―ありがとうございました。

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